東京国立近代美術館にて 企画展

「生誕100年記念 吉原治良*1」を拝見してのメモ。

1 初期作品 窓辺と室内:1923−32

全体にオイルっぽくない、乾いた感じの画面。「鮭のある風景」では高橋由一(的な身の一部を切り取られた鮭)が横たわっている。「手桶の朝顔と菖蒲」は秋田蘭画を連想する。
絵本『スイゾクカン』は手に取って見たい。解説板に、吉原とロシア絵本について書かれていた。2004年に庭園美術館で見た企画展「幻のロシア絵本1920-30年代」は彼が関わっているのだった。

2 形而上学的イメージと純粋抽象:1930−40

「縄をまとう男」をチラシで見て、この展を見たいと思った。身体中に縄をまとった潜水帽にゴーグルの潜水夫は、頭に窓をいただいた建造物のようだ。砂上をどーんと占めている。人物画なのか静物画なのか風景画なのか。
ここまで無人の画面、天然物と人工物のコンポジションが多い。風景画は明るいデザート感が支配している。漂白されたような、生命力と躍動感を休止しているヴァカンスの画面がよい。彼の描く、路上に置き忘れられたテブクロをみてみたい。
抽き出しに作品を収めての展示。“Drawings and materials are in the drawers.”って一般的なのか? 布のコラージュがおもしろかった。
1936年の「作品A」は多様なタッチと絵の具の相だけでなく、コーヒー菓子やチョコマーブル菓子の愛好者をそそる画面だ。うまそう。

3 戦時中の絵画 二つの風景:1940−45

「ピンに止められた蝶」の冥土っぽさに引かれる。「菊(イ)」は背景の薄空色や花弁の佇まいがオトメな雰囲気でいい。(イ)はひとり、「菊(ロ)」は集合の像。「防空演習」で初めて具体的な人物像が登場。
§1では魚が多く描かれていた。ここでは貝殻が多くなっている。

4 鳥と人、そして線的抽象:1946−54

「母子像」。この画題にしては画面が暗い(暗すぎ?)。背景はまっ黒、母親のスカートは赤。二人の顔は定かでない。
「鳥と少女」の密かなグロテスクに引かれた。少女の左右の結い髪と赤いリボン。髪の線描に猛禽性を感じよう。

5 具体の誕生、アンフォルメルの時代へ:1954−62

「詩人祭に寄せる絵画」中の二点で、エルンスト・ヘッケルの博物画を思い出した。
……このコーナーに観覧者が途切れて静まり返ったなか、ひとりだけ取り残された。寂寂寞寞。

6 「円」とその後:1963−72

円の周りをまわった。

絵葉書でほしい作品

  • 「鮭のある風景」
  • 「水族館」
  • 「スイゾクカン」
    • もちろん全画、セットにして。
  • 「手とカード」「貝殻の棚と絵葉書」
    • カードもの二件。「手とカード」は、前回の近美ギャラリー4「現代の版画 写真の活用とイメージの変容」で見た、前田藤四郎「時計」とペアにしたい。
  • 「菊」
  • 「散髪」

泥濘部屋に掛けたい作品

  • 「手桶の朝顔と菖蒲」「春の花」
    • 前者は秋田蘭画風、後者は江戸時代の絵師がオランダの花卉画を模写したような感じ。並べたい。
  • 「鮭のある風景」「庭の魚菜」
    • 前者は室内、後者は屋外。蔬菜画、魚が好きな親方にぴったり。
  • 「水族館」
  • 「縄をまとう男」「錨と歯車」
    • 並べる。海辺の静物風景画として。
  • 「作品A」(1936)「作品B」(1936)「作品」(1939-40)
  • 「菊(イ)」「ピンに留められた蝶」
  • 「鳥と少女」
  • 「詩人祭に寄せる絵画」

*1:Jiro Yoshihara: A Centenary Retrospective